Flèche Japon2023・目指せ熊本ナイスプレイス

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 ブルベ暦ではゆく年となる昨年10月、来年度のカレンダーをめくりながら予定を立てようとしていた。そういえばFlèche(フレッシュ)というチームイベントもあったな…。イースターの日にちを調べると今年度は4月2週目だった。
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<目次>
□ チーム結成~コース作成
□ 出走まで
□ 前々半・しまなみ
□ 前後半・爆風海岸線から三崎港へ
□ 後半・フェリーから阿蘇へ
□ ゴール、そこで見たものは
□ ナイスプレイス
□ 所感

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□ チーム結成~コース作成
 ブルベを始めてから5年、その中でたまたま2回、長めに一緒に走った2人がいる。Twitterでもお世話になっているりくらいまーさんとmasaさんである。フレッシュを一緒に走ってくれるとしたらこの2人だ、と思って声を掛けてみると、2人とも快諾してくれた。当日は出られなくなってしまったが、もう1人加わって4人チームで始動した。ブルベ歴が一番長く(といっても1年差)、言い出しっぺで事務作業が苦にならない私がリーダーを務めた。
 いろいろ情報収集して相談して、ランドヌール熊本のフレッシュに申し込むことに決めた。次はコース作成だ。たまたま似たタイムで一緒に走ったことがあるものの走り方は見事にバラバラ。過去の皆の経験を参考にすると24時間で400kmは走れていそう。ということで、400kmくらいのコースを作ることにした。フレッシュの最低ラインは360kmまたは提出したコースの-20%で、450km超のコースでもなければ変わらない。コース案を募ると4コース集まり、投票で今回のコースの素案に決まった。


実際に提出したのは、福山~しまなみ海道~松山~三崎港~国道九四フェリー~佐賀関~湯布院~阿蘇~熊本ナイスプレイスの388km・3400m upのコース。スタートは8時。素案はmasaさんが過去走ったブルベを参考に作ったもので、”阿蘇でご来光を見る”というコンセプトだった。フレッシュのコースは最短距離になるように通すか、回り道するならPCを設定する必要があり、私が「最短距離…最短距離…」とぶつぶつ言いながら素案から仕上げていった。素案は新尾道スタートだったが、最短距離を選択していくと距離が減ったので、福山スタートに変更して距離を延ばした。前半はフェリーの時間の都合上12時間で226km走らないといけない、我々にとってかなりハイペース(グロス18.8km/h)となった。これは吉だったのか凶だったのか…。
 今年1月には同じブルベに参加し、グループ走行の雰囲気をつかんだ。
 過去記事: 【食べたのは】カキオコブルベ【ホルモンうどん】
よい感じで走行中の距離も気持ちの距離も縮まったライドだった。しかし、このときの私はトレーニング不足で、2人とは走力の差が開いてしまっていた。これではいけないと気合いを入れるも2週しか続けられず、結局3本ブルベを走って(うち1本はDNF)帳尻を合わせるかたちとなった。ブルベの練習はブルベということにしておこう。ちなみに”カキオコ”ブルベに参加したので、それにちなんだチーム名となった。命名は私だ。誰も対案を出してくれなかった…。

□ 出走まで
 出走日が近づくと、masaさんが簡易キューシートを作ってくれ、当日の気温・風の情報をEpic Ride Weatherで調べて事細かに知らせてくれた。ずっと向かい風、6~7mから最大で10mの予報…。早朝の阿蘇周辺は最初5℃予報だったのが0℃に。5℃と0℃ではウェアの選択が変わってくるので、寒さに強い私でも直前に慌てて準備をし直した。日中は春・秋ウェア(真夏用ではない夏ウェアのレッグカバーをレッグウォーマーに変えただけ)で走り、気温が下がってきたらパールイズミの10℃対応ジャージとモンベルのサイクル ツーリングショーツ(廃番・パッド行方不明)を重ね着、さらに寒くなったらモンベルのレインウェア上下を着る予定にした。
 前日、チームリーダーの一番の大仕事がある。それは人数分のブルベカードを忘れずに持って行くことだ。当チームは最初設定していたPCの数が多かったため1人2枚になっており、家を出る直前まで何度も確認した。夜は福山の居酒屋に3人集まって、もつ鍋とお好み焼き(ここでは府中焼きというらしい)で前夜祭兼作戦会議をした。
 翌朝6:30起床、7時に朝食。食い溜めするつもりだったが、前夜にたくさん食べたため普段と同じ量しか食べられなかった。体調は概ね良好。スタート地点のコンビニに直接集合予定だったが、2人が泊まっているホテルに一応寄ってみるとまだいたので一緒にスタート地点に向かう。8時ちょうどのレシートを取得したかったが少し遅れてしまった。食料やスマホのセッティングなどの小さな時間が積み重なり、出発が10分遅れになってしまったm(_ _)m


□ 前々半・しまなみ
 しばらくは約5kmごとローテーションで進む。先頭交代していれば、まだそこまで風はきつくなかった。信号がやや多めで平坦のわりにあまりスムーズではなかったが、順調に尾道大橋を渡り向島(むかいしま)に入る。

PC1 向島大橋 バス停
行き倒れ感のある写真。どうやら映えにこだわらない面子の集まりらしい。ここでスタート時の10分の遅れは取り戻すことができたが、むしろ10分出るのが遅れたのが悔やまれた。この頃はまだ風景を楽しむ余裕があり、青い海がきれいだと思いながら走っていた。
 しばらくは快調に飛ばして、

PC2 曼荼羅寺
桜が咲いていればきっと素敵な絵面になっていたことだろう。

PC3 第四十一番 龍光寺
風あるもここまでは順調。龍光寺の文字が見当たらなくて、分かりにくい写真となった。
 途中でコンビニ休憩をはさみ、

PC4 山ノ鼻 バス停
PC1の向島大橋 バス停もそうだが、そこそこの間隔で見つけられるバス停はPCの候補として非常にありがたい。
 この時点で貯金時間は10分。なかなか増えないなーと感じていて、時間短縮を目的に16km先のローソン休憩のスキップを2人に提案した。通ったときに判断しようという話もあった気がするけれど、途中寄りたいという声も上がらず、次の休憩を飛ばして進むことになった。
 最後の橋、来島(くるしま)海峡大橋は風がやばかった。しかも橋の長さは全長4.1kmと延々と続く。右前(西)からずっと吹き続けてくる風で鼻が冷やされ、右鼻だけ詰まった感覚がした。この日、風対策としてヘルメットはAero-R1+シールドを使用していた。顔に当たる風が減って楽になるのでかなり効果があったと感じたが、当然鼻と口はカバーしていないのでここでは息がしづらくつらかった。ずっとmasaさんが先頭を引いてくれていた。

□ 前後半・爆風海岸線から三崎港へ
 およそ90kmで四国上陸。これからは風の影響をさらに受ける海岸沿いを主に走らなければならない。しかし100kmくらいで私に疲れが出て、序盤のように先頭を引くのが難しくなってきた。一方で、ここからはりくらいまーさんがたくさん引いてくれた。

PC5 道の駅 風早の郷・風和里
ここは素通りくらいで行くつもりだったが、コンビニ休憩を飛ばしたため長めの休憩となってしまった。コンビニと比較して、広い施設内の移動に時間が掛かる、どこに何の設備があるかすぐに把握できない、何が売られているか想定できず補給が中途半端になる、という点でよくなかったと振り返る。
 30kmほど先のコンビニで休憩した後、海岸線沿いの国道378号線に出ると段々風が強まって来た。前の休憩から55km、大洲市(おおずし)のローソン大洲長浜町拓海店には貯金10分ちょっとで到着。ここからが一番風が強かった区間で、できる限り詰めて走りたいけれど、突風が吹くと衝突しかねないので詰められないという状況だった。りくらいまーさんがかなり前を引いてくれ、時々masaさんが交代するパターン。私も平坦くらいは引こうと前に出たが、少しの登りと突風で進まなくなり、1~2kmほどしか漕げなかった。2人が前にいて風避け効果は十分にあったが、それでも斜め前からの風は浴びるので2人についていくのも必死だった。りくらいまーさんとmasaさんの相談で、このペースを維持するのは無理だろうと、1時間遅いフェリーにする話になりかけていた。
 その後、186kmくらいから内陸に入り始める。サイコン上、著しいクライム表示が出たが、トンネル+下り区間もあって実際はそれほど登らなかった。私のガーミンのサイコンは12時間でフェリー乗り場に到着するようバーチャルトレーナーを設定していて、トンネル内で追い抜かしたのを目撃した(※注1)。
 18:00頃の臨時休憩の際、1時間フェリーを遅らせる雰囲気になっていたところ、バーチャルトレーナーを追い抜けたこと(※注1)、この後トンネルが多いのでそれほど登らないはず、フェリーの予約をしているので多少遅れても大丈夫だと思うこと(ここは日本だから)、残り17km/hペースでフェリー乗り場に着けるはずと、masaさんを説得した。阿蘇でのご来光を一番見たがっていたのはmasaさんだったので、何とか繋げたかった。とはいえ、2人についていくので必死だった私は、2人に走ってもらわなければそのペースで漕げないので全くの他力本願(俗な意味のほうで)というひどい人だった。
※注1: 後から知ったことだが、数年前からバーチャルトレーナーはトンネルでGPSの電波が途切れると位置がリセットされる設定になっているらしい。たまたまこのトンネルに入るまでトンネルがなく、よいペースで来られていただけだったのだ。
 国道192号線沿いは内陸で、風の影響が緩和されていた。アップダウンはあるものの、トンネルが多くてクライム表示は良い意味で当てにならなかった。月がきれいだった気がする。満月に見えたが本当のところは1日遅かったようだ。イースターは春分の日の後の満月の日の後で一番近い日曜日なので、満月に見えることも多いらしい。夕闇に混ざっていく海や星空もきれいだったが、よそ見して走るわけにはいかなくて景色を楽しむのはほどほどにした。
 三崎港最寄りのコンビニに着いたときには、食べる時間こそないが、船内で食べる物を買い込むには十分だった。フェリーの受付をして整列しながら乗り込むのを待つ。時間通りに来れたことがうれしくて写真を何枚か撮ってTwitterに上げる。




□ 後半・フェリーから阿蘇へ
 20:30にフェリー出航。座敷スペースに上がり、持って来ていたコンセントでスマホの充電をしておく。人間の充電は三者三様。3人いれば何かと会話をするので睡眠を取るところまではいかなかったが、たくさん休憩できたような気がした。
 予定通り21:40に佐賀関港に到着。フレッシュでは連続休憩は2時間に制限されているが無事クリア。

この時間帯には風は止んでいて、まだ寒くなかった。しばらくは幹線道路を走る。予想に反して交通量は少なく、走りやすくて貯金時間が稼げてラッキーである。再び5kmごとローテーションに戻るが、私よりも2人がやや長く引いてくれていた。私も長めに引けそうではあったが、前後半でついていくのに必死だったことが頭に残っていて自信がなかった。そうしていたら、りくらいまーさんが右膝の痛みを訴え始めた。がんばってもらいすぎて申し訳ない。
 湯布院へと登り始める直前にコンビニで長めの休憩を取った。りくらいまーさんをケアしながら、この後の行程を復習し、ほぼ日付が変わると同時に走り出した。
 鶴見岳の南を回る登りに入ると、突如masaさんが不調になり遅れ始めた。いつもならこの程度の登坂はぐいぐい行けるはずなのだが…。どこかが痛いというわけではないらしいので、ペースを落として見守りながら進む。

由布岳…? 登りが一度終了したところで、各自防寒対策を施した。私はレインウェア上下と防寒テムレスを装着。さあ下ろう。
 …急な下りでめちゃめちゃ寒かった。湯布院のPC7のコンビニに全員震えながら入店。カイロを探すmasaさんだが、置いておらずこの先のいくつかのコンビニを巡ることになる。需要があって売り切れたのか時期が過ぎたのか次のコンビニにもなく、さらに次のコンビニでようやくゲット。私は1件目で買った少し冷めたトルティーヤとこの店で買ったゆず飲料を、2人はカップラーメンを食べて寒さをしのぐ。
 予定時刻より約30分遅れで出発。ほどなく登りが始まり、masaさんの調子はやはりよくないというか、絶不調であった。下った後はあれほど寒かったのに、今度は登りが続くので暑くなり、それぞれバラバラのタイミングで防寒着を脱いで時間のロスが発生する。この時期の山は気温対策が難しく、走り終わった後にmasaさんが”冬山と春山は登ってはいけない”と迷言を述べていた。
 早朝に近づくと今度はりくらいまーさんのペースがやや落ちてきた。足の調子を尋ねると、そちらではなくどうやら少し眠気があるらしい。ログを照らし合わせると、恐らく4:30頃、最低気温の-2℃を記録した後ではないかと思う。しりとりをすることを提案し、3人で今まで経験した中で一番緩いルールでやった。長い登りの終盤、masaさんはこれで気が紛れて少し楽になったらしい。私だけが元気で冴えた状態だったので、あまり意地悪な返しはしないように気遣った。が、2人とも容赦なかった。ラリーが続くにつれ、それぞれの性癖(元来の意味)が出て来たり、同年代なりにジェネレーションギャップが発生したりして、長々とやるものではないなと思った。
 5:30頃、次のPCの牧ノ戸峠を22時間証明地点に変更することを決定。これは前日の作戦会議で案との1つに出ていたことで、ここからの下り区間を利用してぎりぎり360km以上を狙う作戦だ。休憩・自転車を並べて三脚を使って撮影。

322km地点、PC8 牧ノ戸峠
人間を含めた集合写真も撮ったのだけど、寒くてポーズもない固い写真になった。日は昇って来ていたが、山の重なりで日の出は見えなかった。

□ ゴール、そこで見たものは
 360km地点はGoogleマイマップにあらかじめ登録していた。この周辺にいくつか看板があるのでそれでいこう。ここからしばらくは急な下り区間。空は青く大きな丘がいくつも広がり、日本とは思えない現実感が遠のいていくような景色。車の交通量が増えて、爆速の車がいなければもっと最高なのに。
 やがて登り返しに入る。この頃になって、masaさんが不調の原因が空腹感のないハンガーノックということが分かったらしい。

PC予定だった大観峰(だいかんぼう)の看板。展望所に行くのはまたの機会に…。
 もう登り切ったつもりの私に対して、阿蘇経験者のmasaさんは”これからだらだらと、なかなか下れないんですよねー”と言っていた。実際、大観峰から緩いアップダウンを繰り返しながら、どうやらゴールまでだらだらと登っていたらしい。

レストラン北山近くからの景色。山に木が生えてなくて遮る物がないのが新鮮だった。
 ここから6kmで360km地点だ。場所が分かっている私が先頭を行く。サイコンで時間を見ながら、Googleマイマップで地点を見ながら前に集中して進む。りくらいまーさんに後方のmasaさんの見守りを託す。下りもあるが登りもあって、意外と時間が掛かる(だって本当はほんの少し登っているから)。少しペースを上げなくては…。後ろからりくらいまーさんも「あと5分」「あと2分」と声を掛けてくれる。りくらいまーさんが真後ろにいるということは、masaさんもついて来れているはずだ。後ろから「あの看板?」と声が掛かる。
 思っていたのと違うが時間的にこれでいくしかない。急いで自転車を並べて、masaさんがスマホの時計アプリを起動させ、りくらいまーさんが写真を撮る。私は本当にここでよいのか、確認作業をしていたような気がする。




360kmギリギリ、ゴール 跡ケ瀬牧野組合 看板跡
車の交通量が増えていて、路肩から撮影しにくい場所だった。自転車は見切れているし、看板は白紙だし、360km走ってゴールがこれかよ(笑)
Fleche_goal2.jpg
拡大すると元の文字が何とか読める。

4年前のストリートビューでは存在していたのにな。

□ ナイスプレイス
 長めに休憩して、ゴール受付のナイスプレイスを目指す。急な下りが長いこと続くが、せいぜい6%くらいなので下りやすかった。平地に降りてからはゆっくりとナイスプレイス近くのコンビニに向かい、また長めに休憩した。休憩しながらブルベカードを分かる範囲で記入。もうゴール受付開始時間になっていたので、ナイスプレイスの神園山荘(しんえんさんそう)に向かう。すぐ近くだったが、この場に及んで激坂が待っていた…。
 到着すると、やたら元気な人たちがいた。何でそんなに元気なのか、と一瞬考えたが、会話の内容からトレースのチームと分かった。建物の中に受付に行くと、元気なトレースチームとどんよりしているフレッシュチームの温度差がひどく、一目瞭然だった。フレッシュはやはり風と寒さにやられたチームが多かったようだ。違うコースを走っていても、戦友のような気持ちになる。トレースはフレッシュの練習のようなイベントと想像していたが、実際にはフレッシュで酸いも甘いも知り尽くしたベテランさんたちが、本気で楽しむまったり旅コースを組んで走っていたのだった。
 ゴール受付は、りくらいまーさんに写真・レシート提示を手伝ってもらいながら完了。白い看板、ありがとう。
 この後はドロップバッグを回収して荷物整理や休憩をしているうちにBBQの時間となった。いろいろなチームの人と挨拶して、食べて、チーム紹介をして、食べて、それぞれのチームのエピソードで爆笑して、食べて、楽しい時間を過ごした。たくさんごちそうになった。爆食いするmasaさんを見ながら、補給不足にさせて申し訳ないと思った。
 BBQの後は温泉タイム。さっぱりしたところで、朝とは対照的な暑い日差しの中、熊本空港までmasaさんの案内で3人で自走。空港まで結構登り、1人だったら心が折れていそうだ。予定通りさくっと伊丹空港まで戻り、夕食を一緒に食べて解散した。こうして36時間ほどの濃い旅路を終えた。


22時間地点・牧ノ戸峠での写真なのは、あの白看板がゴールでよいのか自信がなかったからだ。

□ 所感
 初フレッシュでギリギリとはいえゴールできたことはとてもうれしい。最後の最後以外は、大幅に遅れているにもかかわらず、根拠のない自信で360kmはいけると信じていた。
 3人だけでも一緒に走る難しさも痛感した。必要な体温調節も補給も休憩もバラバラで、停車時間はどうしても長くなる。そして、先頭を引いてもらった分+寒がり+男性の基礎代謝+力維持のためのカロリー消費量は想像を超えて多かった。スキップしたコンビニのところは特に悔やまれるし、最後に全員道中の食費を計算してみたらほぼ同じだったというのが何ともいえない。機材トラブルがパンクすらなかったのは本当にラッキーだった。
 コースに関してはまたメンバーで後日話し合うとして、すごく細かい所では最短距離を選択して通した脇道に階段が発生したり、”これは私道では?”と回避したパターンがいくつかあったり、Googleマップでストリートビューを十分見たつもりでも見落としがあった。走りながら、「誰だこんなコースを引いたのは!」「ワイや。」 という1人でツッコミをする羽目になった。
 フレッシュから2日後くらいまで余韻に浸っていた。脳内麻薬効果と言えるだろう。イースターは年度末・年度始めに集中しているので”また今度”と気軽には言えないが、できることなら当初の4人でいつか走れたらよいなと思う。
(追記: 2023/4/23) メンバー2人の記事はこちら。
・りくらいまーさん ランドヌール熊本のフレッシュへ参加した話
・masaさん fleche熊本 阿蘇のご来光を見に行こう!
(追記: 2024/8/8) ブルベカードと認定証、参加記念品が届きました!

認定番号は確認できていたのですが、これで最後のピースが埋まった感じがします。これにて完結です。
ランドヌール熊本の皆さん、あらためてありがとうございました。

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