自転車の思い出

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 子どもを自転車で連れ回すようになって、自分の子供時代の自転車のことを断片的に思い出したので、現在に至るまでを書いてみようと思った。記憶が曖昧なところもあるのでフィクションが混じっているかもしれない。
 自転車に乗り始めたのは幼稚園児のときで、補助輪ありのお古の自転車だった。三輪車には多分乗っていたと思うけれど覚えていない。補助輪を外すのに格別苦労した覚えはない。
 幼稚園には母の自転車の後ろ座席に乗って通っていた。昔なのでヘルメットはしていないのが普通だった。たまに父が送ってくれたこともあった。後ろの荷台に立って父の肩を持ち、ベルトをタスキのように父と一緒に掛けて緩い落下防止にしていた。目立つので他の園児がマネをしたがって、先生からやめてほしいと言われたらしい。
 確か小学1年生のとき、自転車に乗っていて転んで上前歯を打った。乳歯で生え変わる時期で、ぐらぐらしたまま特に何もせずそのままだった。当時の友達の1人も、同じようなようなことになっていた。どんな転び方をしたんだろう?
 小学校中学年の頃に、父がトポスでマウンテンバイクを買った。身長の高い姉が乗って帰り、父と私は車で帰った。当時ギアがついている自転車は多くはなくて、「速く走れる自転車、かっこいい!」という認識だった気がする。父が山に乗りに行くことは全くなかったが、トップチューブに座布団を巻きつけて私を座らせ、その辺を乗せて走ってくれたことが何度もある。楽しくて乗せてくれと頼んだこともある。
 小学校高学年のときに深緑色のママチャリを買ってもらった。自転車をかっ飛ばすのは当時から好きだった。気に入っていた自転車だったが、中学生のときに大阪に引っ越して移動がバスや電車中心になり、家の駐輪場に置きっぱなしにしていたらいつの間にか盗まれていた。
 中学・高校のときは自転車を持っていなかった。中学生のとき、当時は何というか知らなかったディレイラーガード(ハブステップ)で2人乗りするのが流行っていた。当時から違法で、「2人乗りに使わないでください」みたいな注意書きと一緒にワチャワチャした店で売られていた。
 大学は実家から電車で通っていた。交通費は定期代を親から出してもらっていたので、ママチャリを買ってこっそり駅の駐輪場に停めておいて自転車通学して節約していた。道に詳しくなくて方向音痴だったので、ほぼ直線のルートで行けるところをコの字のルートで大回りして通っていた。ガラケーで地図を画面保存して見ていた時代の話だから仕方ない。
 就職して2番目の職場ではロードバイクが流行っていた。影響されて思い切ってTREKのクロスバイクを買った。ジーンズを履いて買いに行ったからか、生暖かい目で見られたのを覚えている。タイヤが太くて思ったほど快適ではなかったので、Youtubeを参考にして細いタイヤに交換したら別の乗り物になったようだった。保管場所は狭いマンションの玄関で、バーハンドルの下をくぐって出入りしていた。当時結婚していたが、夫はごく稀にしか文句を言わなかった。
 ちなみに、両親との外食にクロスバイクで乗り付けたところ、「自転車は危ない」と言われてしまったので、それ以来私は自転車に乗っていないし持ってもいないことになっている。
 クロスバイクを買った約5年後、クロスバイクより気軽に乗れる物が欲しくなってブロンプトンを買った。乗車頻度は高くなかったが、車に載せたり輪行したり出先で細かく動くときに便利だった。現在は通勤車になっている。
 ブロンプトンを買って1年経たないうちに、速く走れるロードバイクが欲しくなった。ただそれまで自転車に乗る頻度が高くなかったので、買うかどうか迷っていた。冬のある日、クロスバイク用の手袋を買いにスポーツ自転車専門店に行き、ロードバイクを注文して帰ってきた。現在の愛車である。自走で持ち帰った時、前傾姿勢と軽いギアとでふらふらして怖い思いをしながら歩道をゆっくり走った。想像していたのと違った。道具を使う運動経験がほぼなかったので当たり前なのだけど。1年くらいは「クロスバイクのほうが速いやん」という状態が続いた。
 ロードバイクに乗る頻度が少なく、もったいないと感じた2018年。とりあえず距離をたくさん乗ることを目標にして、びわ湖一周ロングライドに参加して完走した。そのことを当時の職場の先輩に言うと、「ブルベに向いてるんじゃない?」と言われた。聞き慣れなくて調べてみると、距離が伸びても制限速度が(600kmまでは)変わらないおかしなイベントだった。ただ、走る距離を延ばすことには魅力を感じたので、TANTANロングライドのグランフォンドコースを完走できたら申し込むことにした。結果、完走できて現在に至る。

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